エルディション

エルディションとは、博学の意味ですが、雑学程度の情報の紹介

ジョエ・コロンボの家具

ジョエ・コロンボは、アーティストを志して、ミラノ国立プラレ美術学院で絵画と彫刻を学んだ。 そして、1951年に前衛美術集団「ムヴィメント・ヌークアーレ」を結成して、アーティストとし て活躍したが、ミラノ・トリエナーレでプロダクトデザインに魅了され、1954年までミラノ工 科大学の建築学部に在籍した。 しかし、1954年に父が他界したために、アーティストをあきらめて、父の電気部品工場の仕事 を引き継いだ。 それでも、プロダクトデザインの夢をあきらめられず、1962年に、会社を辞めて、ミラノに デザイン事務所を開設して、インテリアやプロダクトデザインの仕事を開始した。 そして、1962年に新素材だったファイバーグラスを使用したラウンジチェア「エルダ・チェア」 を発表しました。 

「エルダ」とは、コロンボ夫人の名前である。

同1962年に、アクリルの特性を生かした今までにない照明「アクリリカ」を発表しました。 これは、1964年の「第13回ミラノ、トリエンナーレ」において金賞を受賞しました。

 

 

このランプは、基底部からの光がアクリルに伝わり、前面がほのかに光るランプで、 弟のジャンニ・コロンボとの共同作品である。

1965年に、照明「スパイダー」)を発表して、1967年に「コンパッソドーロ賞」を 受賞しました。

このランプの特徴は、高さや向きを自在に調整できるランプであることである。

1970年に「ボビーワゴン」を発表した。これは、製図机の脇に置くためにデザインされた が、今は、美容院御用達の作品である。

「ボビーワゴン」は、現在「ニューヨーク近代美術館(MOMA)」のパーマネントコレクションとして収蔵さ れています。

1969年には、ドイツケルンにおける家具見本市で「ヴェジオナ」を出展、その中に「トータル ファンクショニングニット」がある。 これは、彼の「家具(装備)のシステムを考えることから外側の住居のあり方を規定してい く」ことへの試みの結果である。

今回は、「wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考(アマゾン)

○ボビーワゴン

【B-LINE】[ ビーライン ] EU正規品 ボビーワゴン【4段4トレイ】ブラック Boby Wagon B44N キャスター付 デザイナーズ キャビネット [並行輸入品]

○アクリリカ

カルテル ダイニングチェア クリスタル W62/D64/H59/SH25cm ジョエコロンボ SFCH-K5867-B4【国内総代理店正規品】

人気デザイナーの好きな椅子Ⅱ

前回に引き続き、有名デザイナーの好きな椅子を紹介します。

1、インガ・センペ

※「インガ・センペ」は、1968年にフランス・パリに生まれ、1993年にパリの「ENSCI・ワークショップ」を卒業し、2000年には「ヴィラ・メディチ」の 奨学金を得てローマの学校で学び、パリに自身のスタジオを開設した。

「インガ・センペ」が好きな椅子は、「ロナン&エルワン・ブルレック」の「スティールウッド・チェア」である。

f:id:interiorsumai:20210310060848p:plain

2007年のミラノ・サローネで発表され、たちまち世界の注目をあびたアームチェアで、名前のとおりスチールにビーチ材を組み合わせた素材の使い方が斬新で、ダイニングから書斎まであらゆるの空間に適応する汎用性の高い椅子である。2008年ケルン国際家具見本市「ベストデティル賞」を受賞、2001年に「コンパッソ・ドーロ賞」を受賞した作品である。

※「ロナン&エルワン・ブルレック」の「ロナン・ブルレック」は1971年に、「エルワン・ブルレック」は1976年に、共にフランス・フィニステールカンペールで生まれる。「ロナン・ブルレック」は、「アール・デコ」を卒業後すぐに働き、「エルワン・ブルレック」は、「エコール・デ・ボザール」の学生のころから兄の仕事を手伝い、1999年から正式に二人で仕事を始めた。

2、ピエロ・リッソーニ

※「ピエロ・リッソーニ」は、1956年にイタリア、ブリアンツァに生まれ、「ミラノ工科大学建築学科」を卒業し、1987年に「ニコテッタ・カネージ」と共に「スタジオ・リッソーニ」を設立した。

「ピエロ・リッソーニ」が好きな椅子は、「チャールズ&レイ・イームズ」の「イームズワイヤーチェア」である。 

f:id:interiorsumai:20210310061032p:plain


1951年に、デザインしたワイヤーメッシュで背面と座面を一体化したサイドチェアで、縦・横のロッドを交差させて造ったシェルを、ロッドを交差させて造ったエッフェルベースで支える構造になっている。

※「チャールズ&レイ・イームズ」の「チャールズ」は、1907年にミズリー州セントルイスに生まれ、1925年から1928年の間、「ワシントン大学」に通ったが、近代建築に過度に熱をあげ過ぎて退学になってしまう。1936年に、「エリエル・サーリネン」の招待で、「クランブルック美術アカデミー」に奨学生として入学し、後に同校のインダストリアルデザイン学科長として教鞭をとった。「レイ・カイザー」は、1812年カリフォルニア州サクラメントに生まれ、1831年にニューヨークに母親と移住して、美術学校に入学した。1840年に、ニューヨークを離れ、「クランブルック美術アカデミー」へ入学し、ここで「チャールズ・イームズ」と出会った。1941年、前の妻と離婚し、「レイ・カイザー」と再婚してロサンゼルスに移った。

3、フィリップ・二グロ

※「フィリップ・二グロ」は、1975年に、フランス、ニースに生まれ、「エコール・ブール」でプロダクトとインテリアデザインを学んだ。1999年からフリーで活動を開始する一方で、ミラノで「ミケーレ・デ・ルッキ」に師事した。

「フィリップ・二グロ」の好きな椅子は、「エンツォ・マリ」の「ボックスチェア」である。

f:id:interiorsumai:20210310061139p:plain


1971年に、イタリア家具メーカー「カステリ」社から発売されたこの椅子は、4本の脚、2本のステー、プラスチックの座面と背面に分解することが出来て、工具なしで組立も可能である。発売当初は、トートバックに入れて運べるようになっていた。1990年代からは、イタリア家具メーカーの「アレフ」社から復刻された。

※「エンツォ・マリ」は、1932年イタリア・ノヴァラ生まれ、「ミラノ国立ブレラ芸術学院」を卒業した。1956年より「ブルーノ・ムナーリ」らと共に「ダネーゼ」社のためのデザイン活動を開始し、プロダクトデザイナーとしてだけでなく、アーティスト、デザインの理論家等、幅広い活動を行う。コンパッソ・ドーロ賞を4回受賞している。トップブランドの作品を数多く手がけ、これ迄に製作した作品数は1,600点を超え、その内29点はニューヨーク近代美術館の永久所蔵品に選ばれています。

4、ベンジャミン・ヒューバート

※「ベンジャミン・ヒューバート」は、1984年にイギリスに生まれた新進気鋭の若手デザイナーである。彼は、「ラフバラ大学」で学び、2006年には「インダストリアルデザインアンドテクノロジー」を卒業した。2007年にロンドンで、「スタジオ」を設立し、ヨーロッパの国際的な製造業者と協力して、インダストリアルデザインを専門とした。

「ベンジャミン・ヒューバート」が、好きな椅子は「ヴェルナー・パントン」の「パントンチェア」である。

f:id:interiorsumai:20210310061448p:plain


「パットンチェア」は、1960年にデザインされた世界初のプラスチック一体成型の椅子で、彼は、北欧の伝統的技法を嫌って、デザイナーを束縛せず、安く生産できるプラスチック素材に魅了されて誕生した。

※「ヴェルナー・パントン」は、1926年にデンマーク、ガムトフト生まれ、1951年に「コペンハーゲンの王立美術アカデミーを卒業し、「アルネ・ヤコブセン事務所」で働き、1955年に建築デザイン事務所を開設した。「ポール・ヘニングセン」や「アルネ・ヤコブセン」との出会いをとおして伝統的なデンマークデザインの経験を積んだのち、世界の家具メーカーと協同して独創的な名作デザインを世に送り出した。

 

今回は、「エル・デコ2015年4月号」、「インテリアホビーの家」ブログ他を参考に紹介しました。

 

☆参考(楽天市場

〇「ロナン&エルワン・ブルレック」の「スティールウッド・チェア」 

〇「チャールズ&レイ・イームズ」の「イームズワイヤーチェア」

〇「ヴェルナー・パントン」の「パントンチェア」

人気デザイナーの好きな椅子Ⅰ

今回は、「エル・デコ」2015年4月号の特集「インテリアの達人が選んだ120の椅子」から、人気デザイナーの好きな椅子を紹介します。

1、ミケーレ・デ・ルッキ

※「ミケーレ・デ・ルッキ」は、1951年イタリアのフェッツラーに生まれ、1976年にフィレンツェ大学建築学科卒業し、卒業後すぐに、「エットーレ・ソットサス」、「アレッサンドロ・メンディーニ」らが設立した「スタジオ・アルキミア」に参加した。

1976年に、「オリベッティ社のデザインコンサルタントに就任した。1981年に「エットーレ・ソットサス」が主宰した、イタリアデザインのニュームーブメント「メンフェス」を結成して、毎年家具や照明器具などの新作を発表した。1980年12月にグループを結成して、1981年2月にそれぞれの作品をもって再会し「メンフェス」で展示した。1984年に、彼はミラノに「スタジオ・デ・ルッキ」を設立して、1990年にはプライベートブランド「プロドゥツィオーネ・プリバータ」を立ち上げた。

彼の好きな椅子に選んだのは、「ミュヒャイル・トーネット」の「№14」(下の写真)です。

f:id:interiorsumai:20201222105311j:plain 

1859年の発売以来、文字通り世界中で愛されきた曲げ木のアイコン的モデル。現行モデルは改名し「№214」となった。

※「ミュヒャイル・トーネット」は、ドイツのボッパルトで1976年に生まれ、建具職人の下で修業して、1819年に家具職人として独立工房を構えた。彼は、ドイツとオーストリアの家具デザイナー、実業家、そして、曲木技術の発明者、又、「トーネット」社の創業者として有名である。

2、バーバー&オズガビー

※「エドワード・バーバー」は、1969年にイギリス・シュルーズベリーに生まれ、インテリアデザインを学んだ。「ジェイ・オズビガー」は、同じ1969年に、イギリス・オックスフォードに生まれ、プロダクトデザインを学んだ。彼らは、ロンドンの「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」で建築学修士号を取得するために在学し、その間に知り合い、1996年に共同で「バーバー&オズガビースタジオ」をロンドンのショーディッチに開設した。2001年には、インテリアデザインのために「ユニバーサル・デザイン・スタジオ」と、戦略的なデザイン開発のためのオフィス「MAP」を開設した。

エドワード・バーバーが、選んだのは「チャールズ&レイ・イームズ」の「プライウッドラウンジチェア」(下の写真)である。

f:id:interiorsumai:20201222105945j:plain

 

この椅子は、戦時中に負傷兵士用の添え木の開発からプライウッドの立体成型を研究して出来た椅子で、アメリカの「タイム」誌が選んだ20世紀最高のデザインのひとつである。

※「チャールズ&レイ・イームズ」の「チャールズ」は、1907年にミズリー州セントルイスに生まれ、1925年から1928年の間、「ワシントン大学」に通ったが、近代建築に過度に熱をあげ過ぎて退学になってしまう。1936年に、「エリエル・サーリネン」の招待で、「クランブルック美術アカデミー」に奨学生として入学し、後に同校のインダストリアルデザイン学科長として教鞭をとった。「レイ・カイザー」は、1812年カリフォルニア州サクラメントに生まれ、1831年にニューヨークに母親と移住して、美術学校に入学した。モダンアートに触れ、後の作風の基礎をここで培います。1840年に、ニューヨークを離れ、「クランブルック美術アカデミー」へ入学し、ここで「チャールズ・イームズ」と出会った。1941年、前の妻と離婚し、「レイ・カイザー」と再婚して、ロサンゼルスに移った。

「ジェイ・オズガビー」が選んだのは、「ジオ・ポンテ」の「スーパーレジェーラ」(下の写真)である。

f:id:interiorsumai:20201222110514j:plain


1957年にデザインされた「強さと軽さと美しさ」を持った名作で、無垢材のフレームと籐を細かく安打座面からなる。

※「ジオ・ポンテ」は、「イタリアモダンデザインの父」を呼ばれている。1891年ミラノに生まれ、1921年に「ミラノ工科大学建築学部」を卒業し、1923年からイタリアの陶磁器メーカー「リヤード・ジノリ」でアートディレクターを務め、1928年には建築・デザイン初の専門誌「ドムス」を創刊し、初代編集長を務めた。建築家であり、インダストリアルデザイナイ―、家具デザイナー、編集集長など多肢に渡って活動したために、「20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称された。

3、パトリシア・ウルキオラ

※「パトリシア・ウルキオラ」は、1961年にスペイン・オビエドに生まれ、「マドリード工科大学建築学科」を卒業後、イタリアの「ミラノ工科大学」で、「アッキーレ・カスティリオーニ」に師事し、1989年に卒業した。1990年から1992年まで、「ミラノ工科大学」並びにパリの「ENSCI(国立産業創造学校)」でのコースで、「アッキーレ・カスティリオーニ」と「エウジェニオ・ベッティンネッリ」のアシスタントを務めた。1993年からは、「M・.デ・レンツィオ」、「E・. ラメリノ」とともにスタジオを開き、建築デザイン等の仕事をした。1996年から2000年にかけて、「リッソーニ・アソチャーティ」のマネージャーとして、アレッシィ、フロス、カッペリーニなどのプロジェクトに関わる。2001年に、自身の事務所を設立した。

「パトリシア・ウルキオラ」が選んだ椅子は、「ヴィコ・マジストレッティ」の「シルバー」(下の写真)である。

f:id:interiorsumai:20201222110808j:plain

オフィスやダイニングなど場所を選ばないニュークラシックの代表として知られる一脚で、無駄のないシルエットはさすがである。

※「ヴィコ・マジストレッティ」は、1960年代以降、家具を中心にイタリア・デザインの発展を主導した一人である。1920年にミラノに生まれ、「ミラノ工科大学」で建築を学び1945年に卒業し、父親のスタジオで仕事を始めるが、第二次世界大戦直後の事情からローコスト家具の製作に携わる。1948年以降はミラノ・トリエンナーレに関わった。

 

今回は、「エル・デコ」、「インテリアホビーの家」ブログ他を参考に紹介しました。

 

 

☆参考

〇№14  

〇プライムウッドラウンジチェア 

〇プライムウッドラウンジチェア 

日本の名作”木の椅子Ⅱ”

今回は、前回に続いて「エル・デコ」№163から「パーフェクトウッドチェア」を参考に紹介します。 今回の初めは、2019年に「カッペリーニ」社から「ブロリアート・トラヴェルン」スタジオがデザインしたアームチェア「ネウッドリラックスライト」である。

f:id:interiorsumai:20201124022040p:plain

ネウッドリラックスライト

「ネウッドライトリラックスチェア」は、オリジナルの「ネウッド」の背もたれを支えている8本の棒を除去して軽量化し、リデザインした椅子で、無垢の灰の木で作られ、革または布のカバーで覆われたパッド入りシートで構成されている。 今回の椅子のもとになった椅子は、2018年に製作された「ネウッド」でウィンザースタイルの椅子からインスピレーションを得てデザインされた。

f:id:interiorsumai:20201124022233p:plain

ネウッド

「アルべルト・ブロリアート」と「フェデリコT・トラヴェルソ」の「ネウッド」は、高度な技術的な職人技と卓越した製造技術によって完成した椅子である。過去と現在の出会いは、細部の並外れた研究、特に快適な触覚要素を提供するソリッドカーブウッドの特徴的なバックレスト:木材の本物の安心できる美しさを通して達成されました。 「ブロリアート・トラヴェルソ」スタジオは、「アルべルト・ブロリアート」と「フェデリコT・トラヴェルソ」の二人の事務所で、二人とも「ヴェネツィア大学」で建築学の学位を取得し、ムラーノ島のガラス工芸の探求などの旅で経験を積んだ後、「ブローリアト・トラヴェルソ」デザインスタジオを設立した。 最後は、2019年に「B&Bイタリア」社から発売された「ヴィンセント・ヴァン・ダイセン」がデザインしたアームチェア「パブロ」です。

f:id:interiorsumai:20201124023720j:plain

パブロ

「パブロ」は、快適性と堅牢性が特徴で、インパクトの高い審美的で、構造的なソリューションの形成で構成されている。軽いシートパッドを備えた二重の厚みのレザーレイヤーを持つことで、快適さを保証している。 彼のデザインした他の椅子として「モルテー二 ダーダ」から発売したアームチェア「エレン」がある。

f:id:interiorsumai:20201124024020j:plain

エレン



「エレン」は、背もたれとシートの2つのパーツで構成され、座り心地が良く、曲線美を持ったコンパクトなパーソナルソファである。 「ヴィンセント・ヴァン・ドゥイセン」は、1962年、にベルギーのロケレンに生まれ、ゲントの「サンルカス建築大学建築学科」を卒業し、1986年から1989年までミラノとブリュッセルで活動し、1990年にアントワープに自身のスタジオを開設した。 「ビーアンドビー イタリア」は、1966年に「ピエロ・アンブロージョ・ブスネリ」によって創立され、イタリアが近代化・工業化へと歩み始めた1960年代にハイクオリティなデザイン性と創造性、技術革新さらに工業技術をすべて結集させ、商品および流通など全工程を総合的に管理した、独創性あふれる“デザインの工業化”を採用した家具ブランド現在も注目を集めている。 「モルテーニ」は、1934年、ミラノとコモ湖の間にある町ジュッサーノで創業し、先進的な機能を持つシステム収納やオフィス家具で培った技術をベースに、世界の著名な建築家・デザイナーを起用し、モダン家具を多く発表してきた総合インテリア・ブランドである。

 

日本の名作”木の椅子Ⅰ”

今回は、2015年4月号の「エル・デコ」に記載されている「日本を代表する木工椅子ブランドの日本の名作7脚」を参考に椅子を紹介いたします。

1、桜製作所 ARM Chair

※「桜製作所」は、1948年創業、木工技術を持つ職人集団からスタートした香川の木工会社である。1964年以来、木工家具デザイナー「ジョージ・ナカシマ」が唯一その技術を認め、ともに家具を制作してきたことでも知られている。 「桜製作所」の創業者で現会長の「永見眞一」は、1923年高松市に生まれ。建築設計技師から家具デザイナーに転じて、「ジョージ ・ナカシマ」デザインの家具他高級注文家具、カスタムデザインの内装部材などのデザイン、制作をてがけてきた。1964年に「ジョージ ・ナカシマ」が、初来日して以来、30数年にわたってナカシマの日本におけるパートナーとして、デザイン・制作に携わってきた。 その「桜製作所」が奨める椅子は、「ジョージ・ナカシマ」がデザインし製作された「アームチェア」ある。

f:id:interiorsumai:20201109201843p:plain

ARM Chair

この「アームチェア」は、「ジョージ・ナカシマ」自身も愛していて、頑強で壊れにくい構造のうえに、端正なプロポーションをもった椅子である。

※「ジョージ・ナカシマ」は、1905年にワシントン州スポーケンに生まれ、1923年に「ワシントン大学」に入学し、1929年に卒業後、「ハーバード大学大学院」でデザインの勉強をするために奨学金を得たが、「バウハウス」の教育を嫌って、「マサチューセッツ工科大学」へ転校して建築学修士号を取得した。1964年に、インドの「アーメダバード国立デザイン研究所」に向かう途中で来日し、彫刻家の「流政之」の薦めで高松の工房を訪れて、「讃岐民具連」と知り合い自らもその一員となった。1962年に、「ミングレン(民具連)」シリーズの家具を発表した。

2、宮崎椅子製作所 UChair

※「宮崎椅子製作所」は、1969年に徳島県に創業し、もともとは鏡台椅子の下請け製作工場であったが、木取りから木地加工、組み立て、布張りまでイスづくりのすべてを一貫して社内で行っていた。さらには、優れた技術を持つ職人は大勢いたために、「自社製品を持たなければ先はない」と考えた二代目の「宮崎勝弘」は、家具デザイナー「村澤一晃」や「小泉誠」との出会いを機にオリジナル製品づくりをスタートさせたのが、始まりである。 その「宮崎椅子製作所」が奨める椅子が、「小泉誠」がデザインした「U Chair」である。  

   

f:id:interiorsumai:20201109202117p:plain

U Chair


この「U chair」は、その名のとおり背とアームが「U」の字をした軽やかな椅子です。脚と背と肘当てが一体になった、極めて単純な構造の椅子である。このUの字の部材は、フィンガージョイントで削り出しをしています。

※「小泉誠」は、1960年生東京生まれ。デザイナーの「原兆英」、「原成光」の両氏に師事した後、1990年「コイズミスタジオ」を設立した。箸置きから建築まで生活に関わる全てのデザインを手掛ける。2003年にはデザインを伝える場として東京の国立市に「こいずみ道具店」を開き、リアルなデザイン活動を展開している。

3、飛騨産業 HIDA Arda

※「飛騨産業」は、1920年に「中央木工」として岐阜県高山市に設立した。1945年に現在の称号「飛騨産業」に変更し、木工家具では高いブランド力を持ち、キツツキのトレードマークで知られている。古くから飛騨地方で盛んであった伝統工芸の曲木家具から始まっている。 その「飛騨産業」が奨める椅子が、「エンツォ・マーリ」がデザインした「HIDA Arda」である。

f:id:interiorsumai:20201109202351p:plain

HIDA Chair


ナチュラルな木肌を生かし、シーンにこだわらず、あらゆる場所で長く使えることを想定し、シンプルデザインであるが精緻な構造の椅子である。背からアームにかけての緩やかなカーブが美しく、椅子の座、やアームチェアの側面のテーパーは、光のあたる天面をより美しく強調している。

※「深澤直人」は、1956年に山梨県甲府市に生まれ、1980年 に「 多摩美術大学美術学部プロダクトデザイン科」を卒業して、「 諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)」に入社した。1989年 に「 諏訪精工舎」を退職して、 アメリカの「ID TWO(現・IDEO)」に入社し、1996年 に「 IDEO Japan」を設立して日本支社長に就任した。2003年に退職をし、「深澤直人デザイン」を設立した。

☆参考(楽天市場

〇 U Chair(宮崎椅子製作所)

〇 HIDA Arda (飛騨産業)

雑誌編集者の一脚Ⅱ

「エル・デコ」2015年4月号の「世界のエル・デコ編集長に”ひと目惚れ”の一脚を聴きました」から、選ばれた椅子を紹介します。

2回目の今回は、インドの編集長の”ひと目惚れ”の一脚から始めます。

1、「リーフ・シェーズ」 インド編集長

「リーフ・シェーズ」は、インドの「レッドブルー&イエロー」社の「プラミティ・マダヴィ」の作品です。

f:id:interiorsumai:20201031205834p:plain

リーフ・シェーズ


「リーフ・シェーズ」は、1枚板から彫り出された驚きの一脚であり、人間工学に裏打ちされ、自然に対する観察力が、有機的なフォルムを形作っている。 「プラミティ・マダヴィ」は、インドで活躍するデザイナーである。

2、「クリノレッテアームチェア」 ギリシャ編集長

「クリノレッテアームチェア」は、1962年に「アルテック」社から出された「イルマリ・タビオヴァーラ」の作品である。

f:id:interiorsumai:20201031210157p:plain

クリノレッテアームチェア


「クリノレッテアームチェア」は、丈夫なバーチ材による従来の直線的なスポークチェアに、柔らかく滑らかにカーブを描くゆったりと広い座面を備えています。「クリノレッテ」というチャーミングな名前は、柔らかく広がるその形が19世紀に流行したふんわりと広がるペチコートを連想させることに由来しています。 「イルマリ・タビオヴァーラ」は、1914年にフィンランドタンペレに生まれ、1934年に、「旧ヘルシンキ芸術デザイン大学インテリアアート学科(現、アールト大学)」に入学し、イギリス、フランス、スェーデンに見識を深めるために旅に出た。1935年に、ロンドンの「アルテック」社で働き、1937年に「旧ヘルシンキ芸術デザイン大学」を卒業した。卒業後、パリの「ル・コルビジェ」のオフィスで働いた。1938年には、「ASCO」社のアート部門長を務め、1941年には、「Kerava木工業」社のアート部門長を務めた。

3、「レーンシュトゥール」 ロシア編集長

「レーンシュトゥール」は、2014年にオーストリア発祥の「GTV(ゲブルーダー トーネット ヴィエーナ)」社から発売された「ナイジェル・コーツ」のデザインの椅子です。

f:id:interiorsumai:20201031210426p:plain

レーンシュトゥール


「レーンシュトゥール」は、背もたれと座席のウィーンのわらと見事な黒漆塗り仕上げのスチームで曲げられたブナの木で構成されている。 「ナイジェル・コーツ」は、1949年に英吉利に生まれ、ウスターシャー州マルバーンの町で育った。1968年に「ノッティンガム大学」で学び、1972年から「建築協会」で2年間学んだ。1985年に「ダグ・ブランソン」と建築事務所を設立し、 2006年に彼自身の建築とデザインのスタジオを設立した。

4、「CH88」 タイ編集長

「CH88」は、1955年、スウェーデンヘルシンボリで開催されたデザイン博「H55」に出展されたプロトタイプがオリジナルで、今まで生産されることはありませんでしたが、「ハンス J. ウェグナー」の生誕100年を記念して2014年に発表された椅子である。

f:id:interiorsumai:20201031210624p:plain

CH88


「CH88」は、バックレストは、曲木技術を応用して、体をきちんと支えるようにされていて、ゆったりとくつろぐことが出来るようにデザインされている。4脚までスタッキングすることが可能である。 「ハンス J. ウェグナー」は、1914年に南ユトランド、トゥナーに生まれ、13歳から家具職人の下で修行を始め、1931年、17歳の時に指物師のマイスターの資格を取得した。兵役のためコペンハーゲンへ出て、兵役終もコペンハーゲンに残り、23歳で「コペンハーゲン美術工芸学校」に入学し、家具設計を専攻した。1938年に卒業。1940年から1943年にかけて、「アルネ・ヤコブセン」の事務所に勤務した。

☆参考

○「エル・デコ2015年4月号」

 

 

 

 

雑誌編集長の一脚Ⅰ

「エル・デコ」2015年4月号の「世界のエル・デコ編集長に”ひと目惚れ”の一脚を聴きました」から、選ばれた椅子を紹介します。

1、「アッチャイオラウンジ」 アメリカ編集長

「アッチャイオラウンジ」は、2014年に「カッペリーニ」社から発売された「マックス・リプセイ」の作品です。

「アッチャイオラウンジ」アームチェアは、クラシックなスチールレーシングバイクにインスパイアされて、特殊なスチールチュープのフレームで、強くて軽さのある椅子になっている。シートと背もたれは、快適で柔軟性のあるミシン目のサンドイッチで構成されている。

※「マックス・リプセイ」は、オランダ、アイントホーフェンに拠点を置くアメリカ人デザイナーです。ニューヨーク大学で学士号を取得した後、2007年に「アイントホーフェンデザインアカデミー」を卒業しました。

2、「チェルシーラウンジチェア」 ポーランド編集長

チェルシーラウンジチェア」は、2014年に「モルテーニ」社から販売された「ロドルフォ・ドルドーニ」の作品である。

ミラノに生まれ、1979年に「ミラノ工科大学」を卒業し、同年には「アルテミデ」のガラスコレクションをはじめ、「カッペリーニ」、「フォンタナ・アルテ」などモダンを代表する名だたるブランドの家具、プロダクトなどのアートディレクションを兼任した。

3、「イースト・リバーチェア」 韓国編集長

イースト・リバーチェア」は、2014年に「ヴィトラ」社から販売された「ヘラ・ヨンゲリウス」の作品である。

イースト・リバーチェア」は、2009年、オランダの外務省から、ニューヨークの国連本部のUNラウンジのために製作されました。色の組み合わせの選択によって異なった外観をしていて、落ち着きと明るさのあるデザインである。レザーカバーは、肘掛けを汚れや擦り傷から保護し、背もたれまで伸びる厚めのあるシートクッションによって腰部をサポートしている。

※「ヘラ・ヨンゲリウス」は、1963年にオランダ、ユリヒトに生まれ、1988年に「デザインアカデミーアイントホーフェン」を卒業し、卒業後「ドローグデザイン」に従事し、1993年に「ヨンゲリウス・スタジオ」を設立した。2008年に「ヨンゲリウス」は、スタジオをベルリンに移した。

4、「LJ1」 オランダ編集長

「LJ1」は、2015年に「デ・フォルム」社から発売された「ラウレンス・ファン・ウィーリンゲン」の作品である。

「LJ1」の座席のPETフェルトは、PETボトルのリサイクル品で作られていて、座席のデザインは伝統的な製造工程をひとつにしたスマート3Dプレス技術で製作された。PETフェルトは、柔らかく強力な素材であり、耐久性や、優れた音響性能を備えている。

※「ラウレンス・ファン・ウィーリンゲン」は、1974年にオランダ、アーネムに生まれ、「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」で芸術学修士号を取得し、2003年には自身のデザインスタジオを立ち上げ、多くの製品とインテリアを開発しました。

今回は、「エル・デコ2015年4月号」、各家具メーカーHP他を参考に紹介しました。

☆参考

○「エル・デコ2015年4月号」