石山智美の1970年代の建築
今回は、「ログミー」のHPに書かれていた、2017年7月21日、銀座蔦屋書店で開催されたイベント「坂茂と語る建築家の社会的役割」から、映画「誰も知らない建築のはなし」の映画監督の「石山友美」氏のトークから、特に「1970年代の建築」を紹介します。
「石山友美」氏が、「誰の知らない建築のはなし」の映画をつくったいきさつは、イタリアの「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」の日本チームとして70年代の建築を主に取り上げて、上映されたものである。2014年に上映されていたようである。
日本のポストモダン建築の章で出てきたのが、「チャールズ・ジェンクス」氏の「POST-MODERN ARCHTECTUE」のベストセラーの本です。
この本の表紙の建物は、建築家「竹内実」の新宿にある「2番館」です。
1、「つくばセンタービル」 磯崎新 1983年
現在は、「オークラフロンティアホテルつくば」と、変わっています。
2、「秋田市立体育館」 渡辺豊和 1994年
2015年から「CNAアリーナ★あきた」と名称が変わりました。
3、「ヤマトインターナショナル」 原広司 1987年
「ヤマトインターナショナル」の所有者の名前が付いていますが、アパレルメーカーの本社ビルのようです。
4、「M2」 隈研吾 1991年
もともとマツダの東京の拠点のひとつとして建てられ、1991年11月28日にオープンした。ビル名は「2つ目のマツダ」の意味であった。現在は、ポストモダン建築の特徴的な外観には一切手を加えず内装の改造を行い、2003年「東京メモリードホール」の名称で斎場としてリニューアルオープンした。
5、 湘南台文化センター 長谷川逸子 1989年
湘南台地区の公民館をはじめ、こども館、市民シアターなどがある。こども館の一部で「宇宙劇場」と称するプラネタリウムは、外観が地球儀の形の球体になっている。
このように、日本人のポストモダン建築が生み出されてきましたが、それと同時に、バブル景気が多くの外国人建築家を招聘していた。
今回は、「ログミ―」HP、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。
☆参考
○YET HIROSHI HARA
○JA109 隈研吾特集
○長谷川逸子Section1~3