エルディション

エルディションとは、博学の意味ですが、雑学程度の情報の紹介

「茶室」の話その5

前回紹介した「小堀遠州」の茶室、「八窓席」、「忘筌」に続いて、今回は「松隠(閑雲軒)」、「蜜庵(みったん)」の茶室を紹介します。

3、松花堂庭園内 松隠

※「松花堂庭園」は、1977年に八幡市の所有になって、草庵「松花堂」をはじめ、茶室や書院、そして広大な庭園を有している。現在も一般公開されている。「松花堂」は、「男山・石清水八幡宮」の寺坊の一つである「瀧本坊」の住職を務めた「松花堂昭乗」が、1637年に住職を退いた後に、「泉坊」という寺坊に草庵を建て、晩年を過ごした所である。しかし、明治の神仏分離の際に山麓に移されたが、1891年に現在地に移築された。「松花堂昭乗」が社僧として住んでいた「瀧本坊」には、「小堀遠州」が造った茶室や書院などが存在した。 その「瀧本坊」には、1632年に建てられたと言われる「閑雲軒」があったが、1773年に焼失してしまい今はない。その後、再建されることも無く時が過ぎたが、「八幡市教育委員会」が「閑雲軒」の当時の記録や、当時あった場所の発掘によって、山腹の崖にせり出した位置に「閑雲軒」あったことが分かった。それが「空中茶室」であった。

f:id:interiorsumai:20200303200645j:plain

八幡市教育委員会作成イメージ図

 この「空中茶室」を再現したと言われる茶室が、静岡県島田市の「ふじのくに茶の都ミュージアム」にある。そこにある 茶室「縦目楼」は、「小堀遠州」の茶室等を残されている絵図面などから復元したと言われている。それが、京都の石清水八幡宮の「瀧本坊」と伏見奉行屋敷の一部である。

f:id:interiorsumai:20200303200844j:plain

この「空中茶室」は、「向峯居」と言われています。この外観と、八幡市のイメージパースと違いがありますが、「懸け造り」であったことは間違いないようである。 それはさておき、「閑雲軒」は、茶室を取り囲んでいる廊下(縁側)が、内側であるが戸外のように構成されて「露地」の役割を果たしている。その「縁」より眼下に絶景を見下ろしながら歩き、「縁」より「躙口」に入る形式をとっていた。 1970年には、「閑雲軒」の残されていた記録やおこし絵図を頼りに、建築家「中村昌生」氏によって「松花堂昭乗」のゆかりの地である「松花堂庭園内」に「閑雲軒」が復元された。それが、「松花堂庭園」の「松隠」である。

f:id:interiorsumai:20200303201856j:plain

八幡市教育委員会」のイメージ図のように、「懸け造り」で宙に浮いていないので再建には程遠いが、内部に関してはほぼ再建通り復元されていると思う。再現された「松隠(閑雲軒)」は、高床式になっていて、「躙口」の前にある「濡れ縁」で高さのある「蹲踞」で清める。 復元された「松隠(閑雲軒)」の間取りは、四畳台目であり、客座は長方形の四畳である。その長辺形のおよそ中央部に台目構えの「点前座」が設けられ、「床の間」は下座に構えられ、「躙口」は、「点前座」の対面の壁の中間部に開けられている。

f:id:interiorsumai:20200303202030j:plain

図面上の奥の炉の切ってある所が、復元された「閑雲軒」の茶室に当たります。

「茶室」の「客座」は、長方形の四畳で、写真右側に台目構えの「点前座」があり、左側に「躙口」が設けられています。「躙口」の上には「連子窓」と「下地窓」が重ねて配置されている。「躙口」が、壁の端にないことで、「床の間」側と反対側の二つに空間に分けられている。

f:id:interiorsumai:20200303202223j:plain

(「松隠」にて開催したガラス作家・大下邦弘氏の作品展より)

「点前座」には、台目切りの「炉」が設けられ、亭主の入る「茶道口」と料理や菓子を客座に運ぶ「給仕口」が直角に設けられている。「点前座」の上部には、「突上窓」が当初の「閑雲軒」には開けられていたが、復元では屋根構成の関係で省略されている。

「松隠」の正面側には、一般に公開、使用されている大広間の茶室があります。

f:id:interiorsumai:20200303202338j:plain

高床式のために、嵩上げされた床面からの出入りには、数段の踏み石が階段のように配置されている。

 

4、龍光院 蜜庵(みったん)

※「龍光院」は、京都市北区大徳寺町にあり、「大徳寺」の塔頭で、1606年に「黒田長政」が父「黒田孝高」の菩提所として創建された。その「龍光院」の書院に接続された四畳半題目の茶室が、「蜜庵」である。 「蜜庵」は、「小堀遠州」の好みと伝えら、当初は別棟で、二方に「縁」が巡っていた。床、違い棚、書院床を備えた四畳半に、台目構えの「点前座」が付加されている。

f:id:interiorsumai:20200303202501j:plain

世に「密庵床」として知られる「書院床」は、当院伝来の「密庵禅師」の墨蹟をかけるためにつくられたといわれるが、「龍光院」の開山「江月宗玩」の茶会では、ここに付書院の飾りがなされていたことがあった。

f:id:interiorsumai:20200303202551j:plain

(パンフレットに掲載された写真より)

 違い棚の幕板には、遠州得意の図案である松皮菱(びし)と七宝つなぎの透彫りがみられる。柱は、面皮、丸太、角柱を取り混ぜ、一部に長押を取り付け、釘隠を打ち、壁は水墨画を描いた張付壁であるから、「書院造」の意匠を基調としている。

f:id:interiorsumai:20200303202651j:plain

(パンフレットに掲載された写真より)

 ただ「点前座」は落天井とし、中柱には全体に釿目を施した杉丸太を用いるなど、用材と技法の選択を通じて草庵らしさを醸し出している。国宝に指定されている。

今回は、「松隠(閑雲軒)」は、「京都市文化観光資源保護財団」、「松花堂庭園、美術館」、「ふじのくに茶の都ミュージアム」他を参考に紹介しました。

 「龍光院 蜜庵」は、非公開のために不明な点が多々ありますが、投稿されたブログ等を参考に紹介しました。

 

 ☆参考 

小堀遠州綺麗さびの極み  〇小堀遠州綺麗さびの庭     

  

 

○茶人・小堀遠州の正体   〇小堀遠州の美に学ぶ 日本の五感