エルディション

エルディションとは、博学の意味ですが、雑学程度の情報の紹介

人気デザイナーの好きな椅子Ⅰ

今回は、「エル・デコ」2015年4月号の特集「インテリアの達人が選んだ120の椅子」から、人気デザイナーの好きな椅子を紹介します。

1、ミケーレ・デ・ルッキ

※「ミケーレ・デ・ルッキ」は、1951年イタリアのフェッツラーに生まれ、1976年にフィレンツェ大学建築学科卒業し、卒業後すぐに、「エットーレ・ソットサス」、「アレッサンドロ・メンディーニ」らが設立した「スタジオ・アルキミア」に参加した。

1976年に、「オリベッティ社のデザインコンサルタントに就任した。1981年に「エットーレ・ソットサス」が主宰した、イタリアデザインのニュームーブメント「メンフェス」を結成して、毎年家具や照明器具などの新作を発表した。1980年12月にグループを結成して、1981年2月にそれぞれの作品をもって再会し「メンフェス」で展示した。1984年に、彼はミラノに「スタジオ・デ・ルッキ」を設立して、1990年にはプライベートブランド「プロドゥツィオーネ・プリバータ」を立ち上げた。

彼の好きな椅子に選んだのは、「ミュヒャイル・トーネット」の「№14」(下の写真)です。

f:id:interiorsumai:20201222105311j:plain 

1859年の発売以来、文字通り世界中で愛されきた曲げ木のアイコン的モデル。現行モデルは改名し「№214」となった。

※「ミュヒャイル・トーネット」は、ドイツのボッパルトで1976年に生まれ、建具職人の下で修業して、1819年に家具職人として独立工房を構えた。彼は、ドイツとオーストリアの家具デザイナー、実業家、そして、曲木技術の発明者、又、「トーネット」社の創業者として有名である。

2、バーバー&オズガビー

※「エドワード・バーバー」は、1969年にイギリス・シュルーズベリーに生まれ、インテリアデザインを学んだ。「ジェイ・オズビガー」は、同じ1969年に、イギリス・オックスフォードに生まれ、プロダクトデザインを学んだ。彼らは、ロンドンの「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」で建築学修士号を取得するために在学し、その間に知り合い、1996年に共同で「バーバー&オズガビースタジオ」をロンドンのショーディッチに開設した。2001年には、インテリアデザインのために「ユニバーサル・デザイン・スタジオ」と、戦略的なデザイン開発のためのオフィス「MAP」を開設した。

エドワード・バーバーが、選んだのは「チャールズ&レイ・イームズ」の「プライウッドラウンジチェア」(下の写真)である。

f:id:interiorsumai:20201222105945j:plain

 

この椅子は、戦時中に負傷兵士用の添え木の開発からプライウッドの立体成型を研究して出来た椅子で、アメリカの「タイム」誌が選んだ20世紀最高のデザインのひとつである。

※「チャールズ&レイ・イームズ」の「チャールズ」は、1907年にミズリー州セントルイスに生まれ、1925年から1928年の間、「ワシントン大学」に通ったが、近代建築に過度に熱をあげ過ぎて退学になってしまう。1936年に、「エリエル・サーリネン」の招待で、「クランブルック美術アカデミー」に奨学生として入学し、後に同校のインダストリアルデザイン学科長として教鞭をとった。「レイ・カイザー」は、1812年カリフォルニア州サクラメントに生まれ、1831年にニューヨークに母親と移住して、美術学校に入学した。モダンアートに触れ、後の作風の基礎をここで培います。1840年に、ニューヨークを離れ、「クランブルック美術アカデミー」へ入学し、ここで「チャールズ・イームズ」と出会った。1941年、前の妻と離婚し、「レイ・カイザー」と再婚して、ロサンゼルスに移った。

「ジェイ・オズガビー」が選んだのは、「ジオ・ポンテ」の「スーパーレジェーラ」(下の写真)である。

f:id:interiorsumai:20201222110514j:plain


1957年にデザインされた「強さと軽さと美しさ」を持った名作で、無垢材のフレームと籐を細かく安打座面からなる。

※「ジオ・ポンテ」は、「イタリアモダンデザインの父」を呼ばれている。1891年ミラノに生まれ、1921年に「ミラノ工科大学建築学部」を卒業し、1923年からイタリアの陶磁器メーカー「リヤード・ジノリ」でアートディレクターを務め、1928年には建築・デザイン初の専門誌「ドムス」を創刊し、初代編集長を務めた。建築家であり、インダストリアルデザイナイ―、家具デザイナー、編集集長など多肢に渡って活動したために、「20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称された。

3、パトリシア・ウルキオラ

※「パトリシア・ウルキオラ」は、1961年にスペイン・オビエドに生まれ、「マドリード工科大学建築学科」を卒業後、イタリアの「ミラノ工科大学」で、「アッキーレ・カスティリオーニ」に師事し、1989年に卒業した。1990年から1992年まで、「ミラノ工科大学」並びにパリの「ENSCI(国立産業創造学校)」でのコースで、「アッキーレ・カスティリオーニ」と「エウジェニオ・ベッティンネッリ」のアシスタントを務めた。1993年からは、「M・.デ・レンツィオ」、「E・. ラメリノ」とともにスタジオを開き、建築デザイン等の仕事をした。1996年から2000年にかけて、「リッソーニ・アソチャーティ」のマネージャーとして、アレッシィ、フロス、カッペリーニなどのプロジェクトに関わる。2001年に、自身の事務所を設立した。

「パトリシア・ウルキオラ」が選んだ椅子は、「ヴィコ・マジストレッティ」の「シルバー」(下の写真)である。

f:id:interiorsumai:20201222110808j:plain

オフィスやダイニングなど場所を選ばないニュークラシックの代表として知られる一脚で、無駄のないシルエットはさすがである。

※「ヴィコ・マジストレッティ」は、1960年代以降、家具を中心にイタリア・デザインの発展を主導した一人である。1920年にミラノに生まれ、「ミラノ工科大学」で建築を学び1945年に卒業し、父親のスタジオで仕事を始めるが、第二次世界大戦直後の事情からローコスト家具の製作に携わる。1948年以降はミラノ・トリエンナーレに関わった。

 

今回は、「エル・デコ」、「インテリアホビーの家」ブログ他を参考に紹介しました。

 

 

☆参考

〇№14  

〇プライムウッドラウンジチェア 

〇プライムウッドラウンジチェア